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22/08/13 統一教会と自民党の関係から考える事


 今年(2022年)の7月8日に、安倍元総理が奈良県奈良市で参議院選挙の候補者の応援演説をしていた時、同市の就業住宅に住む山下徹也容疑者(41歳)により襲撃され死亡するという事件が発生しました。この事は皆さんも記憶に新しい事だと思います。


 犯人である山下容疑者が何故、安倍元総理を襲撃したのか。そこには容疑者の母親が「世界基督教統一神霊協会(旧統一教会)」に入信し、それによって家族が離散、容疑者の人生も破たんした事があって、結果として安倍元総理への襲撃になったという証言をしました。この事から昨今では自民党と宗教団体である「神霊協会」との繫がりがクローズアップされています。


◆世界基督教統一神霊協会について

 この宗教団体の事は、マスコミでも多く語られているので、多くの人達は理解していると思いますが、ここで少しまとめてみたいと思います。

 1978年のアメリカ合衆国下院のフレイザー委員会の報告書によれば、教団は1961年に大韓民国中央情報局(KCIA)部長の金鍾泌が政治的意図をもって組織し、アメリカや日本で政治工作を行っていたと言われていますが、元は朝鮮半島に土着していたキリスト教の土壌から発生した宗教とも言われており、教祖の文鮮明によって1954年に創設されたと言われているので、恐らくこの新興宗教をKCIAが利用してアメリカや日本での政治工作を行う組織としたとも考えられます。


 教祖の文鮮明は18歳の時、朝鮮の京城で学校に通い電気工学を学んだと言われていて、その時にイエス教会の所属教会である明水台教会に通ったと言われています。そして彼はここで「神の摂理」と「究極の真理を会得した」と言っています。19歳になると文鮮明は日本に渡航し、早稲田高等工学校に通い、卒業後の1943年に帰国、翌年の10月に日本での抗日闘争に関与したとされ逮捕されました。その翌年2月には釈放され、日本で様々な宗教を遍歴しながら、イスラエル修道会で補助引導師となり、1945年に強烈な宗教体験をうけ、それが後の統一教会の源になったと言われています。恐らく文鮮明は正式に神学を学んでおらず、中国の古典や仏教その他の宗教を学んでいたと言われているので、朝鮮半島のキリスト教をベースに、それらの教えを組み合わせて独自の教義を構築したのでしょう。


 その後、平壌で布教活動をしていたところ、南朝鮮傀儡政権のスパイであると噂が流れ、1948年8月に共産党警察当局により逮捕投獄され、そこで拷問を受けたと言われており、その後「社会秩序紊乱罪」で再逮捕され、興南強制労働収容所で5年間の労働を言い渡されました。しかし1950年6月に朝鮮戦争が勃発し、国連軍が興南に達した時に囚人を開放、この時、文鮮明は釜山で弟子達と再開してソウルへ、さらに釜山へと避難生活を続けて、1954年5月1日に「世界基督教統一神霊協会」を創設したと言われています。


 また文鮮明は、安倍元総理の祖父である岸信介元総理大臣とも盟友関係にあり、1950年代から日本の政界と協力関係があったとされています。この岸̪̪氏と文鮮明がどの様に繫がりを持ったのか、少し調べてみるとそこには戦後右翼のフィクサーであった児玉誉士夫氏と日本船舶振興協会の会長であった笹川良一氏、またアメリカ中央情報局(CIA)の名前が出てきます。この辺りを調べ出すとそれだけで膨大なものになりそうなので、ここでは割愛しますが、文鮮明̪の立ち上げた「国際勝共連合」という組織、アメリカとして極東に反共の橋頭保を構築するという方針が合致した事もあって、この関係が出来たのかもしれません。


 この岸信介氏との繫がりから、統一教会は日本の政界に喰い込んでいった様です。それは今でも報道されていますが、議員秘書や選挙へのボランティア活動によって、主に自民党の政治家の懐に入り込むとういう事であった様です。私の個人的な人間関係の中で、今から二十年ほど前にあるマスコミ関係者からオウム真理教の裏話を聞く機会があり、そこで聞いたのは新興宗教のオウム真理教が教団施設を開設する際、それまで統一教会が利用していた施設をオウム真理教が利用するケースが多くあったという事でした。またそこで統一教会とオウム真理教との橋渡しをしたのも、自民党某派閥の領袖であったと言うのです。


◆安倍元総理と統一教会の関係

 岸氏の自宅付近には統一教会の施設が存在し、そこで岸氏は交流会や講演会などを行っていたと言われています。そしてこの教会との関係性は、岸信介氏の娘婿である安倍慎太郎氏に受け継がれ、そして安倍晋三氏に受け継がれていったと言います。

 しかし安倍元総理は一貫して統一教会と親密な関係性を持っていたという訳ではない様です。ジャーナリストの森健氏の著作には、彼が自民党の古参幹部から聞いたという以下のエピソードが紹介されていました。


「岸先生のお嬢さん(洋子氏、安倍氏の母)から注意されていたようなんです。またご本人(安倍氏)も『自分はあまり関わりたくない』と仰っていた。霊感商法で叩かれた後は祝電などお願いしても打ってくれませんでした。それでも北朝鮮の拉致問題などもあり、我々とは仕方なく関わって来たんです」


 ただこの安倍元総理と統一教会が関係を深める事件がありました。それは2009年に「新世事件」で、統一教会の霊感商法に捜査のメスが入り、会長が辞任に追い込まれた時だったと言います。当時、全国霊感商法対策弁護士連絡会の弁護士渡辺博氏は7月12日の会見の際、この様に指摘していました。


「後の統一教会の機関紙で、統一教会の責任者が登場して『政治家との絆が弱かったから、警察の摘発を受けた。今後は政治家と一生懸命つながっていかないといけない』と語った。それが彼らの反省点でした。我々が国会議員に『統一教会の応援をやめてください』と呼び掛けている理由もそこにあります」


 そしてこの時、統一教会が接近した政治家の一人が安倍元総理だったと言うのです。この「新世事件」からまもなく、自民党は総選挙に敗れ下野しました。当時、民主党に敗れたのは麻生政権時代でしたが、その前に政権を投げ出した安倍元総理の責任も、厳しく党内で批判をされていた時期でした。当時の安倍元装置の講演会関係者は、当時の元総理の心情を以下の様に語っていました。


「晋太郎さん(安倍元総理の父親)は3回目の選挙で落選していて、晋三さんはその苦労を知っている。選挙で負けたらただの人以下、だから勝たないといけないというのが晋三さんのポリシーでした。民主党政権のときに、とにかく政権を取るために統一教会を使った」


 かくして政治家に接近したい統一教会と、選挙には絶対に勝ちたいという安倍元総理の思惑が一致し、その結果といて最近報道されている安倍元総理の統一教会へのビデオメッセージにもなったと言うのです。

 全国霊感商法対策弁護士連絡会の代表世話人である山口広氏は、「(政治家が)統一教会に関わる事そのものが統一教会にエールを送る事にほかならない」と強く批判し、以下の様に語っています。


「新世事件以降、統一教会は資金的に厳しい状態になっています。彼らは今でも伝道をやっていますが、以前のようにできない。だから政治の力を借りようとする。今回の参議院選挙で組織推進候補(安倍元総理の元秘書官、井上義行氏)を出したのもその一つ。我々はそう認識しています」


◆創価学会と公明党、自民党との繫がり

 この統一教会と自民党の関係ですが、これと同質な事として日本国内では創価学会と公明党があります。またその公明党が政権与党に入ってから創価学会と自民党は関係を深めてきましたが、これも統一教会と同じような縮図ではないかと私は考えています。


 創価学会が政治と関係を持ったのは第二代戸田会長の時代でした。当時の創価学会は日蓮正宗と深く関係を持っていた事もあり、「国立戒壇」というものを建立する事を目的としていましたが、「国立」であるが故に、戸田会長は政治との関係性を持つ必要があると考え、始めは創価学会の中に文化部という組織を作り、そこから参議院選挙へ候補者を送り出していました。


 この戸田会長と、統一教会と関わりを持っていた岸信介氏は人間関係を持っており、創価学会の中で「広宣流布の模擬試験」と呼んでいる、大石寺の大講堂落慶法要に、当時、総理大臣をしていた岸信介氏を戸田会長は招待していました。しかし当時の岸総理側近の反対もあり、岸信介氏はこの法要に参加する事が出来ず、代わりに安倍晋太郎氏を送り出しました。この当時、少年であった安倍晋三氏もこの法要には参加をしています。


 また興味深い事ですが、創価学会の初代会長の牧口常三郎氏は、日本皇道立教会で、戦後日本の右翼のフィクサーになる児玉誉士夫氏とも知遇を得ていました。またこれは創価学会の末端組織の活動家幹部は知らない事ですが、創価学会の初代顧問であった塚本泰山̪氏は、1949年にアメリカ軍の情報関係者を仲介して児玉誉士夫氏と関係を持っていた事もあるので、当然、戸田会長も児玉誉士夫氏と関係があったと思われます。


 2009年10月5日から自民党と公明党は連立政権を組んでいますが、公明党と自民党の親和性の強さには、こういった過去の歴史も関係しているのではないでしょうか。またこれは私が創価学会の男子部で活動していた時、とある大きな会合で自公連立政権に向けた事で、創価学会の中央幹部が発現していた事ですが、以下の言葉がありました。


「(四月会の事について)自民党は創価学会に詫びを入れて来た。しかし共産党は一切、詫びを入れて来ていない」


 創価学会でも共産党については、「仏敵」という事で敵対関係を持って相対していて、それは現在も継続しています。そこは岸信介氏や児玉誉士夫氏、また笹川良一氏が関与した「国際勝共連合」とも親和性のある言動であると思うのです。 


 自公連立政権以降、創価学会の末端組織では、自民党候補者に対する支援活動も常態化してきました。具体的に言えば自民党候補者に対する「F活動の報告」を取るなど、自民党の集票活動に協力をしてきたのです。しかし創価学会の中も一枚岩という訳ではなく、そういった組織の方針について異論を唱える人がいたのも事実で、そんな人達に対しては「良いとか悪いとかではなく、やるんだ!」という方針を組織内で徹底する程でした。この事から自民党議員からは、創価学会を「集票マシン」と評する人も出て来ていると思われます。


◆政治と宗教との関係性

 アメリカ合衆国では大統領になる人物は「WASP(White Anglo-Saxson Protestants)」であると言われています。ここではキリスト教の宗派は「Protestants(プロテスタント)」と言われているのは、ローマ教皇庁の影響を排除するという為だと言います。ローマ教皇庁はカトリック派の総本山であり、人類史の中で過去には大きな権威と権力を保持していました。しかしアメリカ合衆国はその影響を受けないという事を、ここで示していると言うのです。


 世界平和統一家庭連合(旧:統一教会)の田中富広会長は、8月10日に行った会見で以下の様に述べています。


「日本は宗教団体並びに、そこに所属する信徒のものたちも、国の政治に関わり、そして選挙に関わっていくことは、国民の義務であると理解しておりますし、憲法で保障されていると思います。」


 つまり信徒であっても、政治活動を行い政治に関与するのは国民の義務であり、憲法で保障された権利でもあると言うのです。ちなみに創価学会でも政教一致の批判については、以下の主張をしています。


「創価学会による公明党への支援活動が”政教一致”であるという人がいますが、これは憲法を知らない言いがかりです。憲法20条に定められる「政教分離の原則」は「国家と宗教の分離」のことで、創価学会が行う支援活動は、全くそれに抵触するものではありません。”憲法の番人」とも言われる歴代の内閣法制局長官なども「宗教団体の政治活動は問題ない」と、これまで何度も見解を示されています」(SOKA YOTH 「政教一致論について」から引用)


 統一教会と創価学会が、政治活動に対する意見について、ほぼ同一の見解を述べているのは、とても興味深いものです。


 確かに宗教法人という存在が、政治に対して意見も言えなければ活動する事も許容しない。その様な社会になれば、それは「政治的な言論封鎖」につながるという危険性がある事は判ります。また憲法が禁じる「政教一致」とは「国政を担当する者が、立法・司法・行政権などの国権の行使において、ある特定の宗教団体を益する様な活動を行う事を禁じている」という事も理解できます。


 ただ今回の統一教会と自民党の関係から見える事、また考えなければならない事は、その宗教法人と、その宗教を信じる信者が、精神的に「対等な立場」足りえるのか、という法律的な問題以前の事を考えなければなりません。この問題の核心には「人の心の問題、特に宗教と信者の心の関係」という事があるのです。


 私の過去の経験から言えば、例えば宗教団体の組織的な関係性(ヒエラルキー)において、上位の立場にある人から「〇〇さんに票を入れなさい。〇〇さんの票を集めなさい」という指示があった場合、果たしてそれを断れる人が宗教団体の信者の中に、どれだけいるのか、という事を考えなければならないのです。ましてやその指示が「教団の教義」に紐づけられた理論を展開され、それに反する事は「背信の徒である」と宗教団体の中で認識される様な組織的な土壌があった場合、断る事がより困難になってしまいます。


 統一教会でもそうですが、創価学会に於いても、その教団の教義に絡めて投票活動や政治活動が(暗黙知として)定義された場合、それに対して独自の姿勢を堅持できる様な心を盛つ人は、極めて少ないでしょう。


 またこれは人類史の中で人と宗教の関係性を少し調べてみたら、如何に人は「宗教」に対して脆弱なのかが、よく解る事ではありませんか。それについては、遠い過去においては十字軍の遠征にも見られる事であるし、日本国内では戦国時代に本願寺が戦国大名に比するだけの財力や兵力を持ちえたのも、この人の心にある「宗教に対する脆弱性」によるものだったでしょう。また明治維新の時に、明治政府が何故「廃仏毀釈運動」を行ったかと言えば、やはり「国家神道」という思想を持って、明治政府の政体を正統化する為でした。またアメリカ合衆国では大統領は原則「プロテスタント」である事を求める様になったのも同様な事ではないでしょうか。


 政治に関与する宗教団体は、政治との癒着を指摘されると、「金科玉条」の様に日本国憲法を取り上げて、自団体の行動の正統性を主張しますが、日本国憲法には、その前提となる「人の心」については一切、記述をされていないのです。


◆求められる政治家への矜持

 安倍元総理の言葉で「選挙で負けたらただの人以下、だから勝たないといけない」という事がありました。そして政治家が政治家たるには、とにかく票を集めて当選しなければなりません。その事から政治家が「集票」に注力し、必死になる想いは理解できなくもありません。何故なら自分が落選してしまえば、関係しているステークホルダーの権益すら失わせる事にもなりますし、関係者を露頭に迷わせてしまう事にもなってしまいます。


 しかし議会制民主主義という政体において、政治家は本来、自分自身の政治信条や政策を人々に訴え、票を投じる人達はその言動を見て政治家を選択する訳であり、そこには「落選」という事は常に付きまとう事ではないでしょうか。


 これは大きな建前の意見ですが。


 しかし実際には、そんな建前を言っていたら政治家という仕事自体、なる人も居なくなってしまいます。政治とはある意味で「利権の調整」という側面もありますので、綺麗事だけでは成り立たない世界である事も理解できます。しかし政治家と名乗るのであれば、やはり「国民の権利」を守る事という、大前提は崩してほしくないと思いますし、そういった「矜持」については持ち続けて欲しいと思うのです。当選する為ならば、どんな団体からの支援をも無制限に受けるという事や、その団体を票の為に無策にも評価して称賛する行動は厳に慎むくらいの事は出来る様になって欲しいと思うのです。


 またその政治家を選択する国民としても、そういった政治家の「矜持」をしっかりと見据えるだけの、確固たる正視眼を持たなくてはならないでしょう。


 今回の統一教会と自民党の関係から見える事は、この国の方針の舵を握る政治家に対する「矜持」の問題です。そしてそれはこれから十年後、二十年後の「日本国」の姿を決定する事にもつながる重大な問題なのです。単にワイドショー的な「人の噂も七十五日」という様な、安易な話題では無いと私は考えています。


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