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​プロフィール

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名 前 :斉藤 単己

シンボル:プロビデンスの眼

 単己とは、法華経という経典の従地涌出品にある「単己に道を求めるもの」から引用しました。私は誰かに依存するのではなく、自分自身で考察し、物事を考えていきたいと考え、この名前にしています。

​ また「プロビデンスの眼」とは、全ての事を見通す目という意義がありますが、この世界の全ての事について見ていきたいという考えから採用しています。

​ 「自燈明・法燈明」とは、仏教の開祖である釈迦の言葉です。

 

 釈迦の晩年のことです。各地に遊行の旅の最中、釈迦はたいへんひどい病気にかかりました。この時、弟子のアーナンダ(阿難)が釈迦が亡くなってしまったら、あとは誰をあてに頼りにしたらよいだろうかと心配になりました。このことを察知された釈迦は、アーナンダを始め、弟子たちに次のような話しをしました。

 自らを灯明とし、自らをたよりとして、他をたよりとせず、法を灯明とし、法をたよりとし、他のものをよりどころとせずにあれ。

 これが『大般涅槃経』という経典にでてくる「自灯明、法灯明」という大変有名な言葉です。
 

​ 私は若い頃に「創価学会」という宗教団体にいて活動をしてきました。そこでは鎌倉時代の仏教僧、日蓮の言葉に基づいて様々な事を教わりました。そしてそこから仏教を元に考察すれば、様々な問題や出来事は解決できると考えていました。

 

 しかし四十代になり、世の中の事が少し見えてくる中で、実はこれが大きな錯覚であり、この世界は不思議な事が多くあり、仏教で得られる視点のみでは理解できない事が多くある事も解ってきました。そうなると釈迦の言葉にあった「自燈明」の様に、自分自身を頼りにしながら「法燈明」とある様に、様々な知識や考え方をもとにして、この世の中を見ていく必要があるのではないかという結論に至ったのです。

 幸いにして「創価学会」という宗教団体の呪縛から離れる事が出来ましたので、この場で自分自身がこれまでに知り得た事に基づいて、様々な事を書き記していきたいと思い、このホームページを立ち上げました。

​ お時間のある方は、お付き合い頂ければ幸いです。

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