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私たちの心のカタチ


 「私達はどこから来て、どこへ行くのか」

 これは哲学などで良く語られる言葉です。自分達は気が付いたらこの世界に生まれて来て、様々な体験をして、気が付けば歳を重ねてこの世界から去っていく。そういう存在なのかもしれません。

 私は若い頃、創価学会で活動をしていましたが、私が創価学会で活動を始めた理由の一つに「死」という大命題と向き合ったという経験がありました。私が20歳の頃、幾人かの知人が急逝するのを見て、昨日、また先週まで元気に語らった知人がこの世界から居なくなる現実を見て、その彼らが今はどこにいるのか。また自分自身も数十年先には「死」を経験しなくてはならないという現実を考えた時、その答えを「日蓮仏法」というものに求めたという事があったのです。


◆仏教について

 創価学会で活動を始めた私は、この自分の持った命題の答えを得たいと四半世紀に亘り活動をしてきましたが、結論から言えば創価学会の中に明確な答えはありませんでした。創価学会ではこの様な形而上の答えよりも、生活の中で実感する御利益体験と、自分達組織の思惑を社会の中で実現するため、政治に関与する事ばかりが目につきました。簡単に言えば「目先の事ばかり」であり「組織都合」の組織信仰が中心になっていた組織だったのです。

 ただそうは言ってもこの創価学会により、仏教の端に触れる経験をする事が出来ました。しかし創価学会の言う仏教というのは、日蓮正宗大石寺が持論とする、ある意味で独特の仏教であり、一般的な仏教について学ぶという機会は正直あまりありません。その事から私は独自に仏教の概観について独自に調べてみました。また日蓮の遺文(創価学会や日蓮正宗では御書と呼んでいますが)や法華経という経典についても、極力、創価学会や日蓮正宗の独自解釈に依らずに読み込んでみました。


 独自に仏教に触れてみて、私自身が理解したのは、仏教とは「心のカタチ」について思索されている教えであるという事でした。そしてこれは日蓮という鎌倉時代の仏教僧の語った内容についても同じという事でした。創価学会では「生命」という漠然とした言葉で語っていましたが、仏教で説く所の内容は漠然とした「生命」ではなく、私たち一人ひとりが日常の中ではあまり意識せず、しかし瞬間瞬間常に実感している「心」そのものである。これが現段階の私の結論です。

 また仏教の開祖である釈迦も、恐らく鎌倉時代の日蓮も同様だと思いますが、仏教は宗教として語られていても、宗教団体の為に説かれているものではありません。あくまでもこの世界を生きて行く私達が、自分の中にある心と向き合うために、その「心のカタチ」について説かれた教えだと思うのです。


 ただこの考え方は、あくまでも私個人の考え方であり、万人に対して押し付けるものではありません。


◆チベット仏教について

 仏教の大きな教えの中にはチベット仏教というものがあります。私はソギャル・リンポチェ氏著作の「チベットの生と死の書」というものについても読み込んでみました。チベット仏教とは、もともとチベットの人達が信仰していた「ボン教」と大乗仏教が融合し、独自の死生観に基づいて構築された仏教の亜流の一つだと私は考えています。

 チベットは高度4000メートル以上の高地であり、そこで生活する人達は常に死が身近にあったと思います。それがボン教としてまとまり、そこにインドから流入した大乗仏教が新しい観点を与えた事から、このチベット仏教が出来上がったと思うのです。そしてこの「チベット生と死の書」にまとめられている内容とは、人の死からの解脱。ここでいう解脱とは、この娑婆世界には二度と転生しない事ですが、この解脱が出来ない場合の再生についてこと細かに記述されており、内容としてはとても興味深い内容となっていました。

 このチベット仏教が、近年では欧米のターミナル・ケアの現場で利用され、欧米の人々の中に受け入れられている事を見ると、やはり人間にとって死と向きあう事がどれほど大事な事なのかが理解出来ました。


◆スピリチュアル思想

 近年では欧米を中心にして、様々なスピリチュアル系の思想が出てきています。個人的に感じているのは、この状況は釈迦が生きていた時代の「六師外道」の時代に似ているという事です。釈迦の生きた時代は、古代インドでも大きな社会の変革期でもあり、そこには様々な思想が生まれていたと言いますが、今の人類社会も新たな局面を迎えている中、この古代インドの時代同様に様々な思想が勃興してきているのでしょう。

 ただ問題もあって、このスピリチュアル思想に於いても様々なものがあり、よく見ていく必要があると思うのです。人というのは思想や宗教を信じる事でそれらに対して無防備にもなってしまうので、その思想が自分自身の人生の中で役立つものであるのか、しっかりとした審美眼を持つ必要があるのです。

 私はこの様々な思想の中で、特に臨死体験を中心とした考え方について、とても興味を持っています。それはそこで語られる内容と、仏教の法華経の内容がとても酷似するものがあり、どちらが主でどちらが従という事ではありませんが、東洋思想と近年の欧米の思想が互いに親和性があるという事には、とても興味を持っているのです。


 ここで一旦、話を切りたいと思います。


 これからも、この「心のカタチ」という事について、この場で様々な事を書いていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。


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