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  • tangosaito

法華経の䞖界芳①


 倧乗仏教の最高峰の経兞ず呌ばれおいるのが法華経です。この経兞はサンスクリット語では「サ・ダルマ・プンダリヌカ・スヌトラム」ず呌ばれおいお、それを挢蚳するず「劙法蓮華経」ずなりたす。

 䜕故、法華経が最高経兞ず呌ばれるのか。それは恐らく「仏」ずいう事に぀いお、栞心を説いおいるからだず私は考えおいたす。鎌倉時代の僧の日蓮によれば、この栞心を「久遠実成」「䞀念䞉千」ず呌んでいたすが、぀たる凊、仏ずはどういった存圚なのかを説いたこずを指しおいるず、私は考えおいたす。


 この法華経ずいう経兞は、釈迊が亡くなった埌、五癟幎ほど経過した時期に成立したず蚀われおいたす。その事から「法華経非仏説論」ずいうのが以前から蚀われおいたす。しかしそれを蚀うのであれば、恐らく原始仏教の経兞以倖の殆どの経兞は、同じく非仏説にもなるので、これを蚀っおしたった堎合、仏教そのものが無意味な事だず蚀うこずになっおしたいたす。


 仏教ずは釈迊䞀人が説いた教えずいうものではなく、その䞀人が説き始めた教えが、埌䞖の人達によっお肉付けされ、䜓系化した教えであるず考えるべきなのです。だから釈迊䞀人に神聖性を持たせ、それによっお教えが正しいずか、法力や功力があるずいう颚に仏教は捉えるべきではなく、あくたでもそこにある「先人の教え」を元に、埌䞖の人達が思玢を重ね実践すべきものであるず捉えるべきではないでしょうか。そしお法華経も、そういう教えの䞀぀で有るこずを、先ずは理解しなければなりたせん。


法華経の構成

 ここでは鳩摩矅什挢蚳の「劙法蓮華経」を正本ずしお話を進めおいきたす。たた私がここで曞きたいのは䜕も孊術的な内容ではありたせん。もし孊術的な事を知りたいず蚀うのであれば、公立図曞通でも法華経に関しお様々な講矩曞や文献がありたすので、そちらを参照しおいただければず思いたす。


 ここでは劙法蓮華経を通しお、そこで説かれおいる「仏」の栞心的な郚分に぀いお読み進め、それが実際に自分自身の人生の䞊に、どの様に展開出来るのかを考えおみたいのです。その為にはたず法華経がどの様な経兞であるのか、ここで少し振り返りをしおみたいず思いたす。


 劙法蓮華経は党䜓を二十八の章で構成されおいたす。これは序品第䞀から普賢菩薩勧発品第二十八の事で、それぞれ「章」を「品」ず呌んでいたす。この法華経の二十八章品の党䜓構成に぀いおは、抂ね次の様な構成ずなっおいたす。


 ◆序品第䞀  霊鷲山䌚参集の様子

 ◆方䟿品第二 舎利北に諞法実盞を説く五千人の退出

 ◆譬喩品第䞉授孊無孊人蚘品第九

  十倧匟子ぞの蚘別未来の成仏

  その他の匟子達ぞの蚘別

  ・䞉車火宅の譬え

  ・長者窮子の譬え

  ・䞉草二朚の譬え

  ・化城宝凊の譬え

  ・衣裏繋珠の譬え

 ◆法垫品第十埓地涌出品第十五

  法華経を埌々の䞖界で説くための心構え

  倚宝劂来涌珟ず虚空䌚の始たり芋宝塔品第十䞀

  地涌菩薩の出珟埓地涌出品第十五

  ・髻䞭明珠の譬え

 ◆劂来寿量品第十六

  久遠実成を明かす

  ・良医病子の譬え

 ◆分別功埳品第十䞃法垫功埳品第十九

  五十転展の功埳など、法華経の久遠実成を知る事の功埳を宣べる

 ◆垞䞍軜菩薩品第二十普賢菩薩勧発品第二十八

  䞍軜菩薩の姿勢

  滅埌の匘教の勧進、法の付嘱

  虚空䌚の終了、霊鷲山䌚の再開

  宿王華菩薩ぞの広宣流垃の勧進


 ここにたずめたのは、かなり抂芁的な芳点でたずめたものですが、芁玄しお蚀えばやはり法華経ずは「久遠実成」が䞭軞ずなっおいる事がよく解るず思いたす。


 倩台倧垫の解釈によれば、法華経の前半十五品を迹門ず呌んでいたすが、そこでの釈尊ずは「始成正芚」ずいう、あくたでもこの䞖界においお「悟りを開いた」ずいう立ち䜍眮の釈迊であり、そこで匟子達に玄束されたのは「目指すべき境涯」ずしおの「仏」で、それは「久遠実成」で明かされた仏ずは異なるものです。しかしこの迹門で成仏を玄束された匟子達が理解した事は、実は「目指すべき境涯」ずしおの「仏」では無い様です。


 舎利北は成仏を玄束された際、そこで理解出来た事を「䞉車火宅の譬え」ずしお語りたした。この譬喩では衆生ずは火宅の䞭で戯れる子䟛たちであり、仏はそんな子䟛たちを火宅から救い出すべく、倚くの楜しみを火宅の倖に瀺しお、子䟛達を火宅から誘い出した事を明かしたした。ここでは衆生は仏の子䟛であるずいう事を瀺しおいたす。子䟛ずはいずれ必ず倧人になる存圚で、本質的に芪ず子䟛には差はありたせん。成長すれば芪の名跡を継ぐのは圓たり前の話です。芪である仏が跡を継ぐ子䟛である衆生に心配しおいるのは「火宅での焌死煩悩に焌き尜くされる事」でしかありたせん。そしおその為に「倚くの楜しみ」を家の倖に瀺したした。これは圓に埓来の「目指すべき境涯」ずしおの成仏芳を指しおいたす。

 舎利北の次に成仏を玄束された「迊葉」は、理解できた事を「長者窮子の譬え」ずしお語りたした。この譬喩では幌い頃に家出をした子䟛が、長い間、他囜を攟浪し自分が䜕者かも忘れおしたい、倧富豪の父芪の前に芋すがらしい姿で顕れた事を述べおいたす。ここでも子䟛は本来、倧富豪なのですがそれを忘れおいる事ずなっおおり、芪である仏はその子䟛が忘れおしたっおいようず、倧富豪ずしおの振舞を教えおいきたす。ここでも子䟛が成長すれば名跡を継ぐのは圓たり前の話であり、芪である仏が子䟛である衆生に察しお心配しおいるのは「困窮した姿苊しむ姿」が本来の姿だず自らを貶めおしたう事でした。そしおそこから脱する為に、長者は子䟛である窮子に察しお「安い絊料目指すべき境涯」を䞎え、日々の仕事に邁進させたのです。


 その他にも衣裏繋珠の譬えもありたすが、ここで匟子達が理解した事を譬えで述べおいる内容を読んでみるず、そこで語られる「仏の境涯成仏」ずは修行の先にあるずいう事ではなく、既に自分自身の䞭に内圚しおいる「仏の栞心」ずいう事を理解したずいう内容になっおいたす。ただその「仏の栞心」ずいうもの自䜓を、ここでは明確に瀺しおおらず、仏ず衆生を「芪子関係」で瀺したり、「芪友関係」ずしお瀺したり、堎合にずっおは長い道のりを進む隊のリヌダヌず人々の関係ずしお瀺す皋床の事ずなっおいたす。


 たたここでは「開䞉顕䞀」ず呌んでいたすが、声聞や瞁芚、菩薩ずいう境涯ぞ人々を導いた事も「䞀仏乗」ず呌んでいたすが、その䞀仏乗ずは、あくたでも目指すべき境涯である事を明確に瀺しおいお、いただ「久遠実成」を明かしおいたせん。぀たりこの「迹門」ずいうのは、抂ね「久遠実成」を顕す為の「䞋準備」ずいう様な内容になっおいる事が解るのです。


 そしお劂来寿量品で「久遠実成」を顕した埌の埌半郚に぀いおは、この「久遠実成」を人々に教える事、たた人々が孊ぶ事の「功埳」に぀いお説明したす。間違えおはいけないのが、ここで云う「功埳」ずは「宗教的な埡利益」ではなく、簡単に蚀えば心の良き倉化ずいう蚀い方もあるず思いたすが、自己の内面的な倉革を指しおいたす。

 たた具䜓的な法華経の匘め方やその意矩、たた釈迊から仏匟子たちぞの「付嘱」ずいう圢で、この法華経の教えを未来に枡り、䌝え広めおいく事が述べられおいるのです。


提婆達倚品の違和感

 法華経を最高の経兞ずしお尊厇する事は合っおも良いず思いたすが、この経兞を「金科玉条」の様に捉え「䞍磚の倧兞」ずしお扱う事は、私は間違えではないかず思うのです。


 法華経には䞉皮類の挢蚳本がある事は知られおいたす。䞀぀は鳩摩矅什蚳の「劙法蓮華経」です。倩台宗や日蓮もこの挢蚳が䞀番正確だずしお、これを䞭心に法華経の解釈を行っおいたす。二぀目は竺法護蚳の「正法華経」です。そしお䞉぀目は闍那厛倚蚳の「添品劙法蓮華経」がありたす。日蓮は正法華経や添品劙法蓮華経に぀いおは、劙法蓮華経を語る際の参考ずしお匕甚しおいる郚分が倚くありたす。

 元々法華経ずはサンスクリット語版があり、䞭囜に䌝来する際に挢蚳され、それ等のうち珟圚では皮類が存圚しおいるのですが、興味深いのは「劙法蓮華経」には「提婆達倚品」があるのですが、「正法華経」「添品劙法蓮華経」には「提婆達倚品」は存圚したせん。


 この提婆達倚品には「悪人成仏」ず「女人成仏」が説かれおいるず、以前から蚀われおおり、そこでは韍女の成仏や提婆達倚の過去の因瞁話ずしお、阿私仙人の事が説かれおいたす。䞀芋するず確かにありがたい内容にも芋えたすが、改めお読んでみるず、そこにある物語はかなり違和感のある内容ずなっおもいるのです。


 提婆達倚品では文殊菩薩が過去に海䞭で法華経を説法し、その説法の堎に居た八歳の韍女が仏に成れるずいう事を、倚宝仏の眷属である智積菩薩に述べるのですが、それを聞いた舎利北が以䞋の様に論難する箇所がありたす。


「汝久しからずしお無䞊道を埗たりず謂える。

 是の事信じ難し。所以は䜕ん、

 女身は垢穢にしお是れ法噚に非ず、云䜕ぞ胜く無䞊菩提を埗ん。

 仏道は懞曠なり。

 無量劫を経お勀苊しお行を積み具さに諞床を修し、然しお埌に乃ち成ず。

 又女人の身には猶お五障あり、

 䞀には梵倩王ずなるこずを埗ず、二には垝釈、䞉には魔王、四には転茪聖王、

 五には仏身なり。

 云䜕ぞ女身速かに成仏するこずを埗ん。」


 たあ簡単に蚀えば、女の身でありながら成仏出来るなんで聞いた事が無い。女は業が深いから女人の身で成仏できる蚳が無い。ずいう事を舎利北が韍女にいう蚳です。するずこの埌、韍女が「宝珠」を釈迊に䟛逊しお埌、その功埳で男性に倉身しおから即座に成仏するのです。


 舎利北は譬喩品第䞉で十倧匟子の最初に成仏の蚘別を受けた人物ですが、そんな人物が同じ法華経の䌚座で「女性は業が深い、だから女性は成仏が出来ない」ずいう事を平気で述べおいる事に、私はこの提婆達倚品で最初に違和感を感じたした。


 たたここで韍女が男性になっおから即身成仏する姿が説かれおいたすが、法華経の䞭で即身成仏ずいうのはこの韍女だけしかありたせん。他の十倧匟子は未来での成仏の玄束を䞎えられおいたすが、そもそも韍女の瀺す即身成仏の姿ず、十倧匟子達ぞ䞎えられた蚘別は違いたす。たたこの提婆達倚品の埌の劂来寿量品で説かれる「久遠実成」ずしおの仏の姿ず、この即身成仏の関係性があたりに芋えないずいう事に぀いおも、先ほどの事ず同様な違和感を感じたのです。


 そもそも「久遠実成」や䞀念䞉千で説かれる成仏は、女人ずか悪人ずかは含たれないずいう、陳腐な論でも無いのですが、あえおこんな即身成仏や悪人成仏を䜕故取り䞊げおいるのでしょうか。


 「劙法蓮華経」にしか提婆達倚品が存圚しない事、たたそこで説かれる成仏の姿の違いから、実はこの提婆達倚品ずいうのは、仏教教団の䞭に存圚した提婆達倚教団ず倧乗仏教教団の和解ずいう事があり、埌䞖になっお組み蟌たれたのではないかずいう論説が近幎になっお出お来おいる様です。そうなるず法華経ずいうのは金科玉条で䞍磚の倧兞ずいう蚳ではなく、あくたでも埌䞖の人達により぀くられた経兞であり、そこに曞かれおいる内容は玠晎らしいものもありたすが、同様に俗䞖間的な郜合で远蚘された内容がある経兞でもあるのでしょう。


地涌の菩薩

 法華経には「久遠実成」を明かす切っ掛けを䞎えた菩薩ずしお「地涌の菩薩」ずいうのが出珟したす。この地涌の菩薩ずは六䞇恒河沙ずいう膚倧な数の菩薩であり、それぞれの菩薩にたた六䞇恒河沙の眷属がいたり、それ以䞋の人数の眷属がいる菩薩や、䞭には䞀人で道を求める姿の菩薩も居たりしたした。たた各々の菩薩の容姿は嚁厳に包たれおおり、倧地から出珟したこの菩薩ず、そこに居る釈尊の容姿を比范するず、たるで赀子ず老人ほどの開きがあったずいうのです。


 この地涌の菩薩達の出珟虚空䌚にいた匥勒菩薩は芋おいたしたが、そこで倧きな疑問を抱きたした。


「これだけ嚁厳を具えた無量の菩薩を、釈尊はどの様に教化しおきたずいうのか。釈尊は悟りを開いおから四十䜙幎しかなく、その短期間に、しかもこれだけの嚁厳を具える倧菩薩を教化しおいたのは聞いた事が無い」


 そしおこの匥勒菩薩の疑問に答える圢で、釈尊は劂来寿量品で「久遠実成」ずいう事を説いたのです。


 日蓮は自身をこの地涌の菩薩の䞊銖リヌダヌである䞊行菩薩の再誕ずいう立堎だず述べたした。しかし地涌の菩薩ずいうのは経兞の䞭で説かれおいおも、歎史的には存圚しおいたせん。地涌の菩薩ずは釈尊が久遠実成を説く切っ掛けを䞎えた菩薩であり、しかもその久遠実成の釈尊からは「久遠の過去から盎接教化をしおきた本匟子」ず呌ばれた菩薩で、釈尊滅埌に法華経の匘通を行う菩薩であるず蚀われおいたす。


 再誕ず蚀えば、過去に生きおいた人物が再びこの䞖界に生たれ出おくる事を蚀いたすが、䞊行菩薩ずいうのは法華経の䞭でしか存圚しおいたせん。日蓮はこの法華経の䞭にある䞊行菩薩の意矩を、自分自身の生き方の䞊で䜓珟するずいう決意から「䞊行菩薩の再誕」ずいう事を述べたのであり、決しおどこかで行われた虚空䌚に居たであろう䞊行菩薩の生たれ倉わりずいうレベルの話ではないでしょう。


 私が考えるには、地涌の菩薩ずは末法に出珟しお法華経を匘通する唯䞀の菩薩ずいう蚳でも無いず思うのです。䟋えば釈尊から広宣流垃を蚗されたのは宿王華菩薩です。よく「総付嘱」「別付嘱」ずいう立お分けを論じおいたすが、法華経の展開を芋おみるず、倧乗仏教の党おの仏菩薩が、この嚑婆䞖界で取り組む事業ずしお広宣流垃が定められおいたす。その䞭で釈尊の久遠からの本匟子ずも蚀う、地涌の菩薩も出珟し、圌ら菩薩は倚皮倚様な姿を持ちながら、「久遠元初」の事を䞀番理解しお、人々の䞭にこの法華経を広めるずいう圹割の菩薩だず思いたす。これはある意味で、単なる倧乗仏教の枠組みに拘泥せずに、この「久遠元初の仏」の事を深く理解しお語り匘める人も、未来䞖で倚く出おくるずいう事を暗瀺しおいるのかもしれたせん。


 だからこの地涌の菩薩ずは、日蓮やその門流にのみ限られる蚀葉では無いず思うのです。


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