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プロジェクト・ブルーブック


 ロズウェル事件以降、アメリカでは多くのUFO目撃事件や異星人の目撃や遭遇事件がありました。そこでアメリカ空軍では、これらUFOの調査機関として「プロジェクト・ブルーブック」を立ち上げて、本格的な調査に乗り出したのです。


◆経緯

 この計画の発端は、1947年にケネス・アーノルド氏がワシントン州レーニア山付近を自家用機で飛行中、9機の未確認飛行物体を目撃した事に端を発しています。そしてこの事件以降にも多数の目撃報告が国内であり、それを知ったアメリカ政府は、自分たちの領空内を未確認飛行物体が飛び回っている事に危機感を持ち、この危険性を評価する為に「プロジェクト・サイン」を立ち上げました。

 「プロジェクト・サイン」は1948年にアメリカ空軍のネイザン・トワイニング将軍により設立され、UFOの目撃情報に関連する全ての情報を、国家安全保障上の懸念がある事を前提として政府内で情報の収集、評価する事を目的としたプロジェクトでした。

 このプロジェクトでは当初、未確認飛行物体の目撃情報がソビエト連邦の秘密兵器である可能性があると想定していました。しかし1949年初頭に公表された最終報告書では、いくつかのUFOは実際には飛行物体を示している様にみえたが、それらを確定するのに十分なデータがなかったと述べ、今後も目撃情報の調査については継続する事を述べていました。

 この「プロジェクト・サイン」を引き継ぎ1949年2月に「プロジェクト・グラッジ」が設立されました。このプロジェクトは短期間のプロジェクトで、ここではUFOに対する国民の不安を和らげ、UFOが特異な現象であっても異常な現象でない事を国民に説得する事を目的としていたのです。UFOの目撃情報は気球、航空機、惑星、隆盛、眼の錯覚、太陽の反射、さらには「大きな雹」として説明し、これまでの空軍の関心が結果として人々にUFOを信じる様に促し、「戦争ヒステリー」に近い雰囲気を作り出す事に貢献してしまった事から、プロジェクトの範囲を縮小する事を推奨し、1949年12月にプロジェクトの数量を発表したのです。この「プロジェクト・グラッジ」を引き継ぐ形で設立されたのが「プロジェクト・ブルーブック」でした。


◆概要

 「プロジェクト・ブルーブック」は、1952年3月から1969年12月17日に終了するまで、アメリカ空軍による未確認飛行物体の体系的な研究プロジェクトのコードネームです。このプロジェクトはオハイオ州ライトパターソン空軍基地に本部を置き、エドワード・J・ルッペルト大尉が責任者となり進められました。ルッペルト大尉は「プロジェクト・サイン」「プロジェクトグラッジ」から引き続き責任者となっていました。

 このプロジェクトではUFOが国家安全保障上の脅威であるかどうかを判断する事、また科学的にUFO関連のデータを分析する事を目的として設立されました。

・ルッペルト大尉時代

 このプロジェクトは先にも記載した様に、1952年2月まで、ロバート・J・ルッペルト大尉が責任者として行われていました。ルッペルト大尉は第二次世界大戦で活躍した優秀なパイロットであり、後に大学で航空学の学位を取得していました。この時、天文学者のアレン・ハイネック博士も科学コンサルタントとしてかかわった事は有名です。

・ハーディン大尉時代  1954年3月から、チャールズ・ハーディン大尉がブルーブックの責任者に任命されました。しかしハーディン大尉は「(UFOに)興味のある人は誰でも狂っている」と考えていた様で、この時代、ブルーブックではUFOレポートを調査する事ではなく、未確認のUFOレポートを最小限に異さえる事を目的とする事に決定し、結果、未確認の目撃情報の数はルッペルト時代の20%~25%から1%未満に減少したのです。

・グレゴリー大尉時代

 ジョージ・T・グレゴリー大尉がブルーブックの責任者に任命されたのは1956年でした。グレゴリー大尉はハーディン大尉よりも更に「堅固な反UFOの方向」に導いたとも言われており、実際にUFOレポートの調査はほとんど実際されていなかったのです。


 この「プロジェクト・ブル―ブック」では何千ものUFOレポートが収集され、分析されましたが、それは12,618例にも及び、それらの殆どは自然現象(雲や星など)、または従来の航空機の誤認であると結論づけられました。しかし701件の報告については厳密な分析を行った後も、原因不明として分類されたのです。

 「プロジェクト・ブルーブック」の調査報告は、その後、コンドン委員会、また全米科学アカデミーに以下の要約としてレビューされました。


<調査要約>

1.空軍によって報告、調査、評価されたUFOは、国家安全保障に対する脅威を示すものではない。

2.「未確認」として分類された目撃情報が、現代の科学的知識の範疇を越えた技術開発、または原則を表すという証拠は発見されない。

3.「未確認」に分類された目撃情報が、地球外生命体である事を示す証拠はなかった。


 この要約で示した報告を以って、「プロジェクト・ブルーブック」は1969年に終了となったのです。


 このプロジェクトは、当初、UFO問題の調査分析を目的として設立されましたが、実際に精力的に調査を行ったのは、ルッペルト大尉の時代であり、それ以降はどちらかというと、UFO事象については否定的な人物が責任者になった事もあり、結果としては「UFOヒステリー」の社会状況を鎮静化させる事には意味がありましたが、当初あった調査分析という事については、表向きにあまり成果の無いものだと言えるのではないでしょうか。


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